2010年5月15日 (土)

米軍機の低空飛行訓練を止めさせるよう外務省に要請しました。

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先日、米軍機低空飛行訓練問題で現地調査を行ったことをブログでもお知らせしました。

昨日14日、田村さん、北杜市のみなさんと低空飛行訓練を止めさせるよう要請に行きました。

外務省の担当者は、「低空飛行について寄せられた情報は、その都度米軍に問い合わせている。今日寄せられた写真や航空法違反ではないかという分析も貴重なもの。米軍にも伝える」とは言います。

しかし、積極的に情報を集め分析し、証拠を突きつけて低空飛行訓練を米軍にやめさせようという姿勢が感じられませんでした。

私は、

「外務省のホームページで低空飛行の写真・目撃情報を求めるなど積極的に情報収集・分析を行うべきではないか」

「アメリカでは野生動物への影響まで事前に調べて訓練ルートへの規制がおこなわれている。最低安全高度さえ守ればいいという日米合意そのものも見直すべき」

と要請しました。

2010年5月 7日 (金)

普天間基地無条件撤去を求める宣伝を行いました。

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日本共産党は、7日から9日にかけて普天間基地の県内移設反対・無条件撤去を求める全国いっせい宣伝行動にとりくんでいます。

今朝は、甲府駅前にて宣伝しました。

「県内も国内もダメ。無条件撤去はその通り」「鳩山は、もうダメ。共産党にがんばってほしい」「花田さん、がんばって」など何人もの人が声をかけてくれました。

2010年4月26日 (月)

米軍低空飛行訓練の現地調査を行いました。

米軍機低空飛行問題全国ネットワーク検討会から、米軍機と思われる写真の提供がありました。北杜市で撮影されたものです。

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撮影した地点から山頂の方位・仰角などを測定すると飛行機の高度が推定できます。

元党甲府市議で測量士の岡田さんに測量をお願いし、中村北杜市議や北杜市住民の方と現地調査を行いました。

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調査の結果、山地での最低安全高度150メートルを下回り、航空法違反の可能性が極めて高いことが明らかになりました。

以前、南巨摩地域に米軍とおもわれる低空飛行訓練が行われ、米軍に中止を求めるよう国に申し入れしたところ、国は調査さえ行おうとしませんでした。

今回の調査結果も生かし、国として調査を行うこと、米軍に低空飛行訓練の中止を求めるよう強く要請していきたいと思います。

2010年4月25日 (日)

普天間基地無条件撤去を求める宣伝署名行動をしました。

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今日は、沖縄で県内移設反対の大集会が行われました。それに呼応して甲府駅の信玄像前で普天間基地無条件撤去を求める宣伝署名行動を行いました。

とおりすぎようとした人にも、シール投票をお願いすると、立ち止まってくれて、

「戦争につながる部隊があるのはイヤ」(高校生)「軍隊そのものがなくなってほしいと思っているので」(30代男性)など思いを語ってくれました。

上の写真の人は始め賛成にシールしようとしていましたが、少し考えて「やっぱり反対」。全員が反対に投票でした。

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いったん通りすぎてから、署名とシール投票に参加してくれました。

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「花田さんですね」と声をかけてくれた人に、志位委員長が米駐日大使と交渉した話をすると感心した様子でした。

2009年7月 9日 (木)

昨日、平和行進に参加しました。

昨日、平和行進に参加しました。
写真は、北杜市須玉支所での集会。職員が多数迎えてくれました。
北杜市役所までの沿道に地元の志村しんぶん赤旗記者が事前ビラと署名用紙を配っていたこともあり、あたたかく迎えられました。
須玉支所に届けてくれたり、行進中に手渡してくれた署名用紙は約20枚にのぼりました。

2009年7月 7日 (火)

第35回甲府ちょうちん平和行進に参加しました。

第35回甲府ちょうちん平和行進に参加しました。

昨日、甲府ちょうちん平和行進に参加しました。

甲府市役所での集会では、1945年7月6日の甲府空襲の様子が朗読されました。空襲被害ととtもに、米軍による空襲に対して反撃する能力がなかったことが語られました。

参加するたびに思うことですが、敗戦は必至の状況であったにもかかわらず、戦争終結をひきのばし被害を拡大した当時の支配層の罪は極めて重い。

戦争の加害者にも被害者にもならないために力をつくさねばと思います。

2008年8月 7日 (木)

昨夜遅く、広島から帰ってきました。

昨日、原水爆禁止2008世界大会がおわりました。
広島からバスで甲府へ。車中で感想交流をしたのですが、世代や参加回数によって様々な意見が出て触発されました。
途中の事故渋滞もあり、甲府駅に着いたのは、深夜1時近く。疲れましたが充実した3日間でした。

2008年8月 5日 (火)

2日目分科会は「核兵器廃絶と軍事費削減、格差・貧困とのたたかい」に参加しました。

2日目分科会は「核兵器廃絶と軍事費削減、格差・貧困とのたたかい」に参加しました。
新潟青年ユニオン書記長が

平日にこういう大会に参加できる人は、まだ恵まれている人達。派遣などで働いている人は休めない。
自分は、ひどい働かせ方をさせられ、ウツ病のため仕事をやめ、いまは働いていない。一時は「死にたい」と考えていた。刺殺事件が続いているが、事件を起こし人の気持ちがわかる気がする。彼らは、平和を守ろうなどという気持ちにはなれなかったのではないか?むしろ「戦争が起こればいい」と考えていたのではないか?
貧困で苦しんでいる当事者にどう働きかけるかを研究すべきではないか。

という趣旨の発言しました。

その問題提起を聞いて、はっとさせられました。「自分なんてどうなってもいい」「この世の中なんて消えてしまえばいい」と感じている人に、平和の大事さ、人の命の大切さを直接的に訴える(たとえば「人の命は地球より重い」という風な訴え)のは、かみあわないと思います。この話を聞いただけで、この分科会に参加した意義があったと思いました。

私も触発され以下の発言をしました。

事件を起こした人々は「刺す相手は誰でも良かった」と発言していると報道されています。彼らは、「お前の変わりは、いくらでもいる」という扱いを職場でされていたのではないか。
ある青年は「自分の職場では派遣労働者は工程名で呼ばれている。自分は装着と呼ばれている。人が変わっても、その工程名で呼ばれている」と言っていました。まさに部品扱いです。
青年と話していると貧しいということだけで苦しんでいるでなく、心に大きな傷を負っていると感じます。私も以前役者をしていて、年間百数十万円ほどしか収入がなかったけれど、観客から喜ばれやりがいを感じていたと思う。いまは、常においたてられ、せかされていて、自分が理想とする水準(社会や親などから求められている水準)に達していないと自分は「ダメなやつ」と思い込まされている気がする。常に気をはっていて、本音がだせるのは話し始めてから1、2時間たってからということも多い。
心を開いて話せるまで、ゆっくり話し合うことに心がけています。被爆者が辛い体験を話す気になるには、相手が真剣に聞こうとしているから。それと同じだと思います。

新潟青年ユニオンの書記長が何度もうなづいて聞いてくれたので、少しはかみあった発言ができたかとうれしく思いました。

2008年8月 4日 (月)

原爆ドーム その3

原爆ドーム その3
原爆投下後。ドーム以外は、廃墟です。
展示模型の範囲は、実際に歩くとかなりの距離です。
実際に足を運ぶことは、大事な事ですね。

原爆ドーム その2

原爆ドーム その2
資料館で展示されている原爆投下前の模型です。
写真の真ん中あたりが、原爆ドーム。当時は、まわりに大きな建物はありませんでした。

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